125cc、250cc、500ccで年間チャンピオンを獲得
125ccで年間チャンピオンを獲得
1996年、イタリア選手権チャンピオンとしてロードレース世界選手権125ccクラスでデビューします。
シーズン中、5戦でリタイアし何度かクラッシュしますが、8月のチェコGPで初優勝を遂げました。ロッシはシーズンランキング9位で終えます。
世界選手権で世界の壁を見たロッシは、125ccクラスの世界チャンピオン争いをしていた日本人ライダー(坂田和人、上田昇、青木治親)と親しくしながら色々アドバイスをもらっていたそうです。
「あのコーナーでは何速のギアで回っているの?」と質問していました。質問を受けた選手たちは、2速で回っていたコーナーを3速で回ったとたまに嘘をつくこともあったそうです。
しかし、ロッシは「違うでしょ。2速でしょ。」と指摘したとのこと。
ロッシは真後ろにつけて、シフトチェンジの回数を見抜いていたほど、観察眼に優れていたというエピソードです。
そんなロッシに対して、青木はこんなに強くなるんだったら教えるんじゃなかったとコメントしています。
1997年には15戦11勝を挙げて自身初のチャンピオンに輝きました。
250ccでも年間チャンピオンを獲得
1998年は250ccクラスにステップアップ。この年はロッシが所属するアプリリアには原田哲也、ロリス・カピロッシを擁してシーズンを支配。
同じアプリリアの原田とカピロッシとチャンピオンを争い、年間ランキング2位となりました。
原田とカピロッシが抜けた翌1999年は5度のポールポジション、9勝を挙げて年間チャンピオンを獲得します。
3クラス制覇を達成
2000年、ロッシはホンダへ移籍し、最高峰の500ccクラスへ。
破格の待遇で迎えられたロッシは、ホンダNSR500を駆り注目を浴びましたが、シーズン序盤は転倒が目立ちました。
しかし、徐々に安定感が増し、イギリスGPで初優勝。その後、ブラジルGPでも優勝し年間ランキング2位を獲得します。
また、ホンダに移籍したことから鈴鹿8耐にも参加しますが、リタイアに終わりました。
翌2001年は11勝を挙げて500ccクラスでも年間チャンピオンを獲得し、3クラス制覇の偉業を達成します。
この年獲得した325ポイントは2位とは106ポイント差をつける圧勝でした。
鈴鹿8耐にも再戦しイタリア人ライダーとして初の優勝を果たします。