ドゥカティ時代(2011)

ドゥカティにおけるバレンティーノ・ロッシのエピソード

2010年まで長年にわたってバレンティーノ・ロッシは、ヤマハと共に歩んできました。
しかし、2010年には大きな事故によって負傷するなど、厳しい状況に見舞われます。
その後リハビリを行い順調に回復しレースにも戻っていますが、その中で、2010年の8月15日に2年契約という条件でドゥカティに移籍することが発表されました。

この移籍においては、今まで一緒にマシンの調整を行ってきたチーフメカニックであるジェレミー・バージェスを帯同しています。
このドゥカティへの移籍によって、ロッシは懐かしいメンバーと再会します。
ホンダで一緒に戦ってきたニッキー・ヘイデンが同じチームになったからです。

ロッシにとって久しぶりのイタリアマシンに乗ることになり、最初は調整がうまく行っていませんでした。
実際にシーズン前テストにおいては、ライバルのホンダから大きな遅れを取ってしまいます。
また、開幕戦であるカタールGPでは7位という結果になってしまいます。

その後も第3戦まではなかなか思うようなレース展開ができず、ミスも見られました。
しかし、第4戦となったフランスGPでドゥカティチームでは初めての表彰台に上ります。
この後のレースにおいては、なかなかトップ争いに食い込むことができず、GPレーサーとしては初めて優勝が1回もない年となってしまいます。

しかも、マレーシアで開催された第17戦では大クラッシュに巻き込まれます。
幸いロッシには大きなけがはありませんでしたが、ロッシのバイクがシモンチェリに衝突し、頭部に損傷を負った彼が亡くなるといういたたまれない結果になってしまいます。

ドゥカティ時代の戦績

このように、全体を通してバレンティーノ・ロッシのドゥカティ時代の戦績は、あまり振るわないものでした。
2011年は結局のところ、年間ランキング7位に終わっており、このランキング順位はMotoGPクラスでは最も低いものとなりました。
日本GPとなった第15戦では、接触によって指を骨折するというアクシデントも経験しています。

2年契約の最後となる2012年では、第4戦となるフランスGPにおいて2位を獲得しています。
また、第13戦であるサンマリノGPでも2位となり表彰台に上っています。
年間を通しては、この2位を2回獲得するというのがロッシにとっても、ドゥカティチームにとっても一番高い戦績となっています。

結局、2年間のドゥカティ時代には優勝を飾ることは一度もできませんでした。
そして2012年8月の時点で、ドゥカティから古巣であるヤマハに戻ることが発表されました。
3か月後の11月には、早くもサーキットテストにおいてヤマハマシンに乗ってリスタートしています。