ヤマハ時代(2008)

ヤマハ時代、2008年のバレンティーノ・ロッシ選手をめぐるエピソード

2004年にヤマハに移籍したバレンティーノ・ロッシ選手にとって、2008年は大きな転機となる1年でした。
彼が移籍した当時のヤマハはまだMotoGPクラスで十分な実績を持っておらず、これからロッシ選手とともに実績を積み重ねていく状況にありました。
そうした状況で確実に実績を重ねていたなか、2008年にタイヤをブリヂストンに変更することになったのです。

MotoGPにおいて9度のチャンピオンを獲得したロッシ選手ですが、2006年、2007年シーズンは不調といってもよい状況でした。
とりわけ2007年はランキング3位、これは1996年以降でもっとも低い順位でした。
2008年シーズンは、そうした状況からの挽回をはかる非常に重要なシーズンとなっていたのです。
そしてライバルチームと比較してウィークポイントともなっていたタイヤの問題を解消するべく、ブリヂストンタイヤへと切り替えたのです。

これで鬼に金棒!となりそうなものですが、じつはブリヂストンタイヤへの以降はスムーズにはいかなかったようで、チームとしても「もしブリヂストンでチャンピオンを取れなかったらどうなるのか」という不安を抱えていたそうです。
いわば最後の切り札を投入したわけで、それでチャンピオンを取れなければロッシ選手の「現役最速のライダー」の評価が揺らいでしまうことになりかねません。
シーズン前のテストは良好で「これなら勝てる」という手応えもあったそうですが、いざシーズンが始まってみると序盤の段階で苦戦続き、思うように結果を出せない状況が続きました。
実際ロッシ選手は当時「ブリヂストンのポテンシャルを十分に活かしきれておらず申し訳ない」といったコメントを残しています。

2008年シーズンの戦績

しかし苦戦続きだった序盤からロッシ選手、さらにヤマハ陣営とも少しずつ立て直しに成功、確実に成績を残していきます。
そしてロッシ選手は、2008年シーズンに見事チャンピオンを獲得しました。
彼にとっての「定位置」を奪回することで改めて「世界最速のライダー」の評価を揺るぎないものにしたのでした。

とくに価値が高かったと言われるのは、雨の影響でレースが短縮されたインディアナポリスでの優勝でした。
この勝利によって、彼は天候・コース形態、レース状況を問わずつねに最高の能力を発揮できるライダーであることを証明したと言われています。

もうひとつ、この時期のロッシ選手をめぐるエピソードとしては、当時熾烈なライバル関係にあったケーシー・ストーナー選手との微妙な関係も挙げられます。
2008年のアメリカGPにおいてレース中に両者が接触、当時はストーナー選手がロッシ選手に謝罪して解決したものも、以後もお互い挑発しあうなど微妙な関係が続きました。
こうした点からも、2008年はロッシ選手にとっていろいろな意味で印象深いシーズンだったと言えるでしょう。