ヤマハ時代(2009)

ヤマハ時代、2008年のバレンティーノ・ロッシ選手をめぐるエピソード

結果から言えば、2009年シーズンはバレンティーノ・ロッシにとって非常に充実したシーズンだったと言えるでしょう。
年間6勝を挙げてチャンピオンを獲得したのです。
2008年にチームがブリヂストンタイヤを採用することでチーム・ロッシともに躍進、久しぶりにチャンピオンを獲得したのに続いて2年連続での栄冠となりました。
ただ結果的には非常によいシーズンであった一方、1年間をトータルで見るとなかなか波乱万丈な面も持ち合わせていました。

まず前年まで最大のライバルとしてしのぎを削っていたケーシー・ストーナーがあまり振るわず、年間の総合成績ではロッシのチームメイトであるホルヘ・ロレンソが2位になるなどライバル関係に変化が生じました。
以後もストーナーとのライバル関係は続くものの、同じチームに最大のライバルがいる、という状況になったことでチーム内の緊張関係などに変化が生じたとも言われています。

またシーズン序盤では以外なほど苦戦しており、初優勝を飾ったのは3戦目のスペインにおいて。
初戦・2戦ともに2位になっており、不調とまでは言えないものの、「今一歩足りない」状況でした。
さらに4戦目のルマンでは彼にとって最高峰クラスでは唯一となった転倒を喫してしまい、ほかにもライドスルーや2度にわたるマシン交換などのロスもあって16位という不本意な成績に終わってしまいました。

さらに彼の地元である第5戦のムジェロでのレースでは、8連覇がかかっていたにもかかわらず成績が振るわずに3位に終わります。
地元ムジェロで優勝できなかったのは2001年以来ということもあって、精神的にもショックを受けた面があったようです。
しかしそれ以降は彼らしさを発揮、序盤戦の煮え切らない状況を払拭するかのように活躍し、ダッチTTでは史上2人目のGT100勝を達成し、まさに伝説のライダーの評価を不動のものにしました。

ただ、2009年の年間勝利数6勝はロッシがチャンピオンを獲得したシーズンのなかではもっとも少ない数字となっており、いい面と「イマイチな面」の両方を抱えて突出した強さを披露する機会は少ないながらも、年間を通して安定した成績を残してチャンピオンになった、という評価ができるでしょうか。
逆に言えば悪くても悪いなりに成績を残すことができる、ロッシの底力を示した1年だったのかもしれません。
もうひとつ2009年のエピソードとしては、マン島のTTコースにおいてジャコモ・アゴスチーニと一緒にエキシビジョンとして走行を行った点も挙げられるでしょう。

2009年シーズンの戦績

上述したように、2009年のロッシは年間6勝と突出したわけではないものの、安定した勝利数を重ねました。
また年間ポイントに関しても2位に入ったチームメイトのロレンソに45ポイント差をつけており、最終戦を待たずしてチャンピオン獲得が決定するなど、結果的には圧倒的なパフォーマンスを発揮したことになります。

勝利しなくても確実にポイントをとって成績を伸ばすことができる、これもロッシの優れた面なのでしょう。
そしてこの2009年シーズンが彼のヤマハ時代のキャリアのピークともなりました。