ヤマハ時代(2010)

ヤマハ時代のバレンティーノ・ロッシに関するエピソード

バレンティーノ・ロッシは、父親がスズキでも活躍したプロレーサーだったということもあって、幼少期からバイクやカートになじんできました。
若くして多数のレースにも参加するようになり、ヨーロッパ選手権でもいくつものタイトルを獲得しています。
プロとしてはアプリリアチームでレースを始めていますが、その後ホンダに移籍しました。
ホンダでも優勝経験を重ねていましたが、2004年になるとヤマハに移籍することが決まります。

移籍したタイミングでは、ヤマハはまだMotoGPにおける勝利は2回しかありませんでした。
それで、強さを発揮できるレーサーとしてバレンティーノ・ロッシと契約したのです。

この年のMotoGPの開幕戦は南アフリカでしたが、予選でポールポジションを獲るとそのまま本戦でも優勝します。
この時、かつでのチームであるホンダとの激しい優勝争いを演じた上での勝利で、劇的な幕切れとなりました。
ウイニングラップではヘルメットの中で号泣していたというエピソードは、彼の喜びをよく表していると言えるでしょう。

その後もロッシは強さを見せ、翌年2005年にもチャンピオンの座を獲得していきます。
この年は17戦中16戦表彰台に上るという、まさに圧倒的な強さを見せています。

ヤマハ時代に残した戦績

バレンティーノ・ロッシとヤマハの付き合いは非常に長く、2010年に移籍するまでずっと同じチームで走り続けます。
この時代に残した戦績は、チームとレーサーの関係が非常にうまく行っていたことを示しています。
合計で4回のチャンピオンとしての座を獲得しているのは、まさにその証拠です。
56回ものレース優勝、そして142回も表彰台に上るという偉業を成し遂げています。

ヤマハ時代ではずっと首位チームを走り続けていたレーサーとして、世界中に強い印象を与え続けました。
転倒やリタイヤが重なった2007年でさえ、ランキング3位という結果でした。
このランキング3位は彼が1996年に125ccクラスで勝ってから一番低い順位ということで、常にトップの座に君臨していたことが分かります。

2009年も多少の低迷が見られた年ですが、いくつものドラマチックな展開があったため、ファンにとっては思い出深いレースとなっています。
たとえばバルセロナ戦では、ロレンソとのデッドヒートが見られました。
最後の最後まで優勝争いがなされ、なんと0.095秒差でロレンソをかわして優勝したのです。

2010年は開幕戦から相変わらずの強さを見せ、多くのレースでトップタイムを出しています。
しかし、イタリアの第4戦において転倒し足を複雑骨折してしまいます。
その後、回復を見ながらレースに復帰しますが、同じ年にドゥカティへの移籍が発表されました。