ヤマハ時代(2004)

2004年のロッシについて

ロッシは2004年にヤマハへの移籍を果たしました。
移籍をした後もこれまで通りの活躍を見せてくれました。
2003年の間はホンダとの契約が効力を持っていましたで、ヤマハの車でのテストをする事はできませんでしたので、2004年になってからテストがスタートしました。

2004年にロッシが初めてテストした、車がYZR-M1でした。
ロッシのテスト走行に向けてヤマハのスタッフは4種類のエンジンを搭載可能な、車を準備していました。
それがYZR-M1です。
4種類のエンジンの中からロッシは、4バルブタイプのエンジンを選択して搭載することをリクエストしました。

開幕戦は南アフリカで

2004年のロッシの開幕戦は南アフリカで迎えることになりました。
かなりの激戦とはなりましたが、ロッシは見事優勝することになりました。
2004年、ロッシはヤマハのYZR-M1で9勝をあげることで、タイトルを続けて獲得することになりました。

皮肉なことに、ロッシが契約を解除した、ホンダは2004年一度も勝利をあげることはできませんでした。

日本人ライダーの活躍

2年目の日本人ライダーである。玉田が2004年には大きな活躍をみせました。
ブラジルGPで見事優勝を飾ってします。
玉田はブリジストンのタイヤを愛好していて、ブラジルGPでの勝利がブリジストンにとって初めての栄冠となりました。
玉田はランキング6位の活躍をして、2004年を終了することになりました。

他にも、中野真矢や阿部典史も目覚ましい活躍を見せた年でした。
これまでは外国人選手の活躍ばかりが注目されていますが、日本人の活躍も聞こえるようになってきた年でもありました。

ロッシという大きな目標があったことも日本人選手の活躍の原動力になったと言っても過言ではありません。
やみくもに頑張るという方法よりも、良いお手本があって、その選手を目指して行くというやり方の方が、着実に力を付けて行くことが出来るものです。

日本のメーカーにとっても日本人選手の活躍は車の開発の励みになるものです。
相乗効果もあって、日本の車の性能が大いにアップすることになっています。

ロッシの様に車に乗ってみたい

ロッシの様に颯爽と車に乗ってみたいという気持ちを持つことは悪いことではありません。
一般の人がレースに出ることは不可能ですが、同じ車種で走行を楽しむということは可能です。
スター選手になった気分で嬉しい気分になれることでしょう。

嬉しいからといって、危険な運転をする事はNGです。
ヘルメットなどの装備もしっかりとしておくことが必要です。

無理の無い走行を常に心がけることも必要です。
いろいろな車に関する情報をレースを通じて集めていくことは、とても有益なことです。
これからもいろいろな選手の活躍に注目をして、走行を思う存分楽しみたいものです。