鈴鹿8時間耐久レースを戦ったホンダVTR1000SPW

過酷な鈴鹿8耐
MotoGPを主戦場としていたロッシでしたが、ホンダ在籍時の2000年に鈴鹿8時間耐久レースに参加します。
ロッシは子どものころから日本びいきで日本人ライダーが好きでした。そんなロッシが憧れたレースの一つが鈴鹿8耐です。
アプリリア在籍当時、鈴鹿8耐に参加を希望していたほどですが、バイクの性能に難があり、その希望は叶いませんでした。
次に500ccへステップアップ時に契約したホンダとの契約交渉で、鈴鹿8耐に参戦することを条件にしていたそうです。
トップライダーが鈴鹿8耐への参加を避けるのが一般的で、ロッシ本人の希望ということで非常に驚かれました。
2000年と2001年に参戦するのですが、自叙伝での回想では鈴鹿8耐の過酷さがわからず当時は舞い上がっていたと述べています。
2000年は自身がクラッシュ、相棒のコリン・エドワーズもクラッシュしてしまいリタイアとなりました。
続く2001年では雪辱を果たします。2000年の過酷さから鈴鹿8耐には二度と出たくなかったそうで、何が何でも勝ちたかったとのこと。
自叙伝ではこれだけ疲れてしまったレースは初めてでしたが、この勝利はとても大きな自信となり500cc初タイトルにつながったそうです。
ホンダVTR1000SPWの特徴
VTR1000SPWはスーパーバイク世界選手権(SBK)で絶対的な強さを見せつけていたドゥカティの牙城を崩すべく市販車VTR1000SP-1をベースに開発されたマシンです。
排気量999cc水冷4ストロークV型2気筒DOHC4バルブエンジンを搭載し、180PS上の加速力があります。
市販車ベースですが、ライダーのニーズにあわせた仕様にしているのが特徴です。
なお、VTR1000SP-1は輸出専用車であったため北米市場ではRC51やRVT1000Rという車名で販売されていました。
SBKで勝利するために作られたバイクということで即品切れ状態になったそうです。
日本では逆輸入車として販売されています。